2018年06月18日

「自分の見方は正しいか?」を問う

やっていることが正しいか.jpg


人は物事を自分の見たいように見ている

・ものごとを「あるがままに」
見ることは出来ない

「ものごとは客観的に、正確に見て
判断するべき」と言われることが
あるが、それは不可能である。

何故なら、人が考え、行動する
背景には、必ず、文化、歴史、教育
社会通念、個人の経験などが影響
しているからだ。

それを煩悩ともいうが、
ちなみに釈迦が悟りを開いたときに
全てが見えたという。

本題に戻るが、例えば、
積極的に台所に立つ男性を見て、
女性なら「家事に協力的でやさしい」
と好印象を持つだろう。

だが、家事は女性の仕事と
保守的な教育や経験を積んできた人
には、その男性を「軟弱な奴め」と
不快に思うかもしれない。

そうした印象は、その男性の接し方
にも影響を及ぼすかもしれない。

・表面的に人をとらえることの限界

別の例では、友達に「貸して」と
言われても、頑なに人形を手放さない
少女がいたとする。

その場面だけ見れば、多くの人が
「少女はわがままだ」と否定的に
評価するだろう。

だが、もしその人形が、前日に
亡くなった母親の形見だったら?
少女の態度への印象もガラリと
変わるだろう。

人間の行動や態度を表面的に
判断するという考え方や物の見方を
疑わずにいると、真実とかけ離れた
結果になるということだ。

これが人生ならどうだろう。

間違った地図に意気揚々と目的地を
目指すようなものだ。

だが、それは、地図に示された
目的地に到着するまで間違っていたと
皮肉なことに気がつかない。

しかし、人生は後戻りできない。

人間の行動に関する事実は、
もっと深いところで考える必要がある。

それが「人格」を重視するという考え方だ。

「七つの習慣」の一部引用

masayuki simomura








posted by siimo at 17:32| Comment(0) | 情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月17日のつぶやき




















posted by siimo at 16:01| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする